[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
サッカー日本代表で活躍する西条市出身の長友佑都選手の母、美枝さん(48)が15日、松山市上野町の県生涯学習センターで、長友選手との人生を語った。題して「こうして佑都を育てた」。長友選手の幼少時代からの写真をスクリーンに映しながら、母子家庭の苦労、長友選手の反抗期や無名時代を赤裸々に話した。駆けつけた約230人が熱心に聴き入った。割と子供は分かってたりするんですよね。
県教委主催の「子どもの夢を育む家庭教育を考える集会」の一こまで、フリーアナウンサー、やのひろみさんとの対話形式で進んだ。
幼少時代の長友選手は、雨の時に家の中でサッカーボールを蹴ったり、階段や押し入れから飛び降りたりと活発で、けがが絶えなかった。美枝さんは「周りの人に迷惑をかけずに、命に別条がなければいい」と考え、めったに怒らなかったという。
小学校からサッカーを続けてきたが、中学入学時に、愛媛FCのジュニアユースの入団テストに落ちた。
西条北中学のサッカー部に入ったころの長友選手は、教科書に描いたような反抗期だったという。部活のチームメートらの雰囲気にものまれ、練習もせずにゲームセンターに通っていた。美枝さんは、そんな長友選手に、「ゲームセンターに行くな」とは言わなかった。自分から気づいてくれると信じて大きな心で見守った。先生の指導もあり、長友選手はまた少しずつサッカーにのめり込んでいった。
3年生になった長友選手は、母子家庭の母に苦労をかけたくないとの思いから県内の高校に進学するつもりだった。「お金のせいで子どもの夢をあきらめさせたくない」。美枝さんは、県外の名門校に行かせたかった。親族は「サッカーで食べていくわけでもないのに」と反対したが、美枝さんは長友選手の可能性を信じていた。「佑都にとってこれが一番のターニングポイントになるはずだ」。あちこちから奨学金を借りて進学の費用を工面。結局、長友選手はサッカー名門の東福岡高校に進学した。ふくれあがった借金に、美枝さんは長友選手に内緒で、自分に生命保険までかけたという。「子どもの将来のために自分の命も賭けたかった」と振り返る。
福岡に旅立った日の夜、長友選手から美枝さんにメールが届いた。「お母さんは自分のしたいこともせずに頑張ってくれた。ありがとう」。その時に、美枝さんは「親があれをしなさい、これをしなさいと言わなくても分かってくれるんだ。やり方は間違ってなかった」と実感した。涙が止まらなかった、という。
高校入学後、長友選手は努力を惜しまなかった。人格が変わったようだった。美枝さんは「母親が腹をくくって送り出してくれた、と本人も感じている」と確信した。部員は160人。3年目、その中でレギュラーになった。
長友選手は明治大に進学、その後プロの世界へと羽ばたいていった。2008年、長友選手が日本代表に選ばれた時も、すぐに「今の自分があるのはお母さんのおかげ」と長友選手から電話が入った。
美枝さんは、最後に子育てのこつを、こう語った。「言葉で命令するのではなく、自分の姿勢で感じてもらうこと。そして、自分の子どもの可能性を信じてあげることが大切」。(松山尚幹)
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |